持論

努力がつらい…でも努力するしかない…努力について考えてみた

努力

オレはがんばってる。
がんばって副業してる。

ブログを書き、コラムを書き、YouTubeを撮り、プログラミングをしている。
もう何年も、毎朝4時起きでだ。

だが最近は、努力するのがつらい。
ホントにつらい。

報われない努力はつらい

何のことはない。

報われない努力はつらいのだ。
そして、努力が報われるかは運しだいなのだ。

努力すれば報われる。
そんな言葉はウソである。

オレはこれだけがんばって副業している。
もういい加減報われたっていいはずなのに、ぜんぜん儲からない。

理由は簡単。

オレにビジネスの才能がないからだ。
つまり、ビジネスに関して、オレは運が悪かったのだ。

努力が報われたから、努力できた

学生時代は運が良かった。
勉強はできたからだ。

やらなくても、公立の中学で学年トップぐらいにはなれた。
才能があったから、やればやるほどできるようになった。

仮に勉強の才能がなく、何もしなければ偏差値40ぐらいだとしたら、いくらがんばっても偏差値50ぐらいにしかならず、絶望していただろう。
いや、あまりにも勉強がわからなすぎて、勉強する気にすらならなかったかもしれない。

オレが学生時代に努力できたのは、たまたま勉強はできたからであり、単に運が良かったからなのだ。

努力が報われないので、努力がつらい

学生時代の名残で、努力はできてしまう。

おそらく、普通の人の何倍もできてしまう。
何年も、朝4時起きで副業してる人なんて、まずいないだろう。

だからこそ、絶望している。
「オレはまだ本気出していない」なんて言い訳できないほど努力しているのに、何の成果も出ていないからだ。

報われない努力ほど、つらいものはない。
がんばっても、がんばっても結果が出ず、日に日に絶望感が高まっている。

つらい。
本当に、つらい。

努力自体を楽しくするしかない

それでも努力するしかない。

自慢じゃないが、オレの会社嫌いは筋金入りだ。
学生の頃から、人に指図されることと、集団行動が死ぬほど嫌いだからだ。

そう、文字通り死ぬほどだ。
会社員を定年までやらなきゃいけないぐらいなら、本当に死ぬ気である。

だから、がんばるしかない。
がんばり続けるしかない。

とはいえ、このままだとしんどい。
じゃぁ、どうするか?

努力自体を楽しくするしかない。
趣味のように、結果いかんに関わらず、努力すること自体を楽しむしかない。

とはいえ、何をどうしたらいいかわからないので、今更ながらせっせとビジネス書やら自己啓発書を読みつつ、今までとは違う副業もしつつ試行錯誤している。

なんとなく、オレなりの答えは見えてきそうである。

がんばるしかない。
正直つらいが、工夫してなんとかがんばろう。

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