持論

人はどうせいつかは死ぬ。でも知り合いが若くして亡くなるのはやり切れない

やり切れない

そんなに仲が良いというわけではないんだけど、何度か会ったことがある人が、非常に重い病気にかかってしまったのだそう。
詳しくはわからないけど、おそらく余命何カ月とか、そういう状況だ。

年はオレよりちょっと上ぐらい。
40代前半。

まだまだ若いのに、残念だ。

その件で、ちょっと思うところがあるので、書いてみよう。

死ぬのが悪いことだとは思っていない

オレは「死んじゃいけない」とか「死ぬのは悪いこと」だとかは、正直思っていない。

昔、高校のとき、学校にもう目立つぐらいなじめず。
親に言っても、まともに聞いてさえもらえず。

毎日がイヤでイヤで仕方なかった。
正直、本気で死のうかと思ったぐらいだ。

そんなときに読んだのが、一時期話題になった「完全自殺マニュアル」。

この本の中に、たしかこんなことが書いてあった。
「本当にイヤになったら死んでもいい」と。

この言葉が響いた。

「そうだ、本当にイヤになったら死ねばいいんだ!
だったら、それまで好き勝手に生きてやろう!」

と。

そのときから、開き直って生きている。
「イヤになったら死ねばいい」と心の片隅で思いながらね。

おかげで人生だいぶ良くなったと思っている。

開き直って行動しまくったおかげで、結婚もできた、子どももできた、仕事もまぁ我慢はできる会社に入れた、お金にも困ってない。
なにより行動力がついたので、今後どうなっても何とかなるような気がしている。

…というわけで、死ぬことが一概に悪いことだとは思っていないんだ。

それでも不条理な死はやり切れない

それでも、知り合いの方の大変な状況を聞いたときはやり切れなかった。

寿命ならいい。
それなら、残念ではあるけれど、まぁしょうがないと思える。

本人が生きたくないというなら、それもいい。

オレだって正直死んでもいいと思いながら生きてるんだ。
死ぬことが本人の意思なら、残念ではあるが仕方ないことだろう。

でも、今回はどちらにも当てはまらない。

寿命が来るには早すぎる。
やりたいことも、やり残したことも、まだまだたくさんあるだろう。

たった数回会っただけの関係ではあるのだけれど、つい色々考えてしまって、やり切れなくなる。
「なぜ、あの人が?」と、答えなんかあるはずないのに考えてしまう。

知っている人が若くしてどうにかなってしまうというのは残念だ。
本当に、残念だ。

なんか、どう終わらせたらいいかわからないんだけど…。
すっごい月並みで、自分でも全く響かないんだけど…。

健康には気をつけよう。
オレも、あなたも。

そのぐらいしか、ないなぁ…。

 

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